えらくないブログ。

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アルジェティオは自分のために嘆くんだよ

足りない頭で
馬鹿な考察をするのは有意義だと思いました。

変に関する考察ていうか自分で思う考え。ぱちぱち
まず変とはなんだろうなぁ。
辞書で解いたら「普通でないこと」。まあ見た目じゃぁ簡単な結論だぁ。
じゃあ普通の定義は何だろう。
辞書では名詞的には「特に変わっていないこと」と記されているけど、
ここは副詞の意味「通常、一般に」で捉えよう。
それぞれの意味を考えると、
通常:世間一般にみられる状態であること
一般:広く全体に共通して認められ、行き渡っていること。
こんな感じになるわけですねぇ。
この場合だと通常の中に一般の意味も含まれているので、
通常でないことになる、世間ではたいてい見られない事象でいいのかな。

ここで世間の定義をどこまでにするかが問題なわけ。
たとえば世間をこの世界全体にしちゃうと常識という言葉も皆無になるんだよね。
どこかの国では家の中を土足で歩くし、
どこかの国では食べ物を手でつかんで食事をするし、
どこかの国ではバーチャルに酔いしれる人が溢れてるし、
これは全て「文化」と言っちゃえば、変なんて言えないわけだね。

世間というのは、簡単に言うと人が生活している場所であり、その中にある社会で起こる
人々の交わりとか、その範囲のことを言うそうな。現代文の授業の受け売りだよ。
つまり世間は人一人ずつにある自分の生活をする世界な感じなんで、
世間というものはたくさんあるんだねぇ。

だからAさんという人がいてその人が形成する人との交わりでできた「世間」の中で
広まっていることとは異なる事柄はAさんは変であると認識するんですね。
それはAさんと関わる人も同じだと思います。

でも個人の世間に交る人はその人の世間だけにいるわけじゃないのね。
もちろん複数の知り合いがいれば複数の世間に交わってるのね。
こうなると世間内の一般の定義がほかの世間にも移っていくと思うの。
こうして世間はつながって大きな世間の集団ができたのだぁ。
これがテレビとかメディアでいう「世間一般」のことじゃないかな。
だから日本人の世間がみんなつながれば日本の世間が出来上がるのね。

でも世間の広さとか実質どうでもいいのね。
世間が混ざる瞬間なんだよね変の問題は。

たとえば一つの世間にAさんBさんCさんDさんが居るよ。
それぞれいろんな世間と交わってるよ。
ここで4人が一緒に行動するとそれぞれおかしいと思うことがあると思うよ。
たとえば食事をするときに、
Aさんはお玉を使って食べる
Bさんは手づかみで食べる
Cさんは箸を使って食べる
Dさんは飲み物しか口にしない   これが通常だとする。
もちろん4人とも他の3人がおかしいと思う。
でも4人それぞれ違うんだから「一般」の定義がないよね。
4人が関わったから少しだけど4人それぞれ世間に介入したとする。
ここでほかの3人の行動を受け入れればこれがその世間の中の「一般」になる。
だから他の世間で「変」と思われても「いや、結構普通だよ?」と思う。
これがどんどん連鎖されたら変の定義が少しずつ減っていく。
今はメディアとかで流行があるから「一般」と「変」の範囲が解りやすいけど
実際上みたいな世界になってもおかしくないと思うんだよなあ。
そうしたら「変」の定義はどこに行くんだろう。「一般」はどこまで広がるんだろう。
最近じゃぁアングラなものも面白おかしくメディアに晒されて日常化してるしね。
それが上に書いたような現象じゃないかなぁと思う。

私が思うに、
「一般」の定義がそもそもつけにくいというのに「変」という言葉を生みだした人が
一番変人だと思うのですよ。

うっわ長い。
でも妄想理論は楽しいよ^^
こんな高校生思考なんて真に受けないでね。
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